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村岡昌憲
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▼ Area16 ~奥日高の清らかな宝石~
- ジャンル:釣行記
- (area-釣行記-)
Area16 - Stage2 ~奥日高の清らかな宝石~
2009年9月20~22日 北海道 静内川 イワナ
いろいろなことに絶望し、
森の中に入ると新しいものが見えてきて、
絶望が別のものに転化する。
開高健の言葉である。
昔知ったときはさっぱり意味がわからなかったが、ようやくこの歳になって全てを理解した。
絶望の中で生きた10代後半から20代、もがいた末に掴んだ手のひらの中の小さなもの。
それを持っている限り、僕はもう惑うことはない。
前の週、僕は中国へ飛んだ。
中国に行ってみると、街や人々に未来への確信と希望が満ちあふれていることがわかる。
それは日本における昭和30~40年代の頃のよう。
誰もが今日よりも明るい明日を見据えている。
日本人がそれを見失ったと言われて久しい。
政治家が悪いのか、官僚が悪いのか。
だけど、結局、誰かのせいかなんて意味がない。
少なくとも僕は、今日よりも明るい明日を心から信じている。
そして、中国でもニオイビジネスの夜明けを迎えようとしている。
日本に帰ってきて翌朝、仕事が遅くなってほとんど徹夜になってしまったがボートで出撃。
今年も東京湾のイナダが絶好調。
ロッドはクロスインパクト73ML。こういう釣りにドンぴしゃ!
鳥山を撃って撃って撃ちまくる。
スーサンでキャッチ。
当日一番反応が良かったのはナバロン150F。このルアー、例の時のルドラを越えるかもしれません。
夕飯はNSFCyooichiさんに教わったイナダのお茶漬け。
イナダをヅケにして、ご飯に乗せたら梅昆布茶を掛けるというもの。
最高に美味かった。
夜は早めに寝ようとしたが、なかなか寝付けない。
何と言っても楽しみだったんだ。
翌朝、6時30分発の新千歳行き。
トラウトのために東京から北海道へ移住した人、健さんが空港で待っていてくれた。
この高くて青い空。
走ること1時間半ほどで静内へ。
サケの遡上が真っ最中。
紅鮭もガシガシと遡上していた。
鮭を狙って大きなクマも来ていた模様。
「ははは、きっと、大きな犬だよ。だってクマは想像上の動物だぜ?」
健さんの言葉。
雲がこんなに美しいと思ったのは今年最初のこと。
僕は9ヶ月も何やってたんだろう。
地面ばっかり見て、ダメだな。
河口エリアでは40センチほどのブラウンが数回ヒットするも、全部はずれる。
そして、一気に上流部へ。
静内のヒロさん(左)と、やること全てクールな健さん(右)。
ダムのアウトレットに。
ここでは何にも無し。
スーパーで買い物して温泉とキャンプ場へ。
温泉の休憩室に大きなクマがいた。
一度でいいから、生きているお前に会ってみたい。
北海道はキャンプ天国。
本当に多くのキャンプ場があり、キャンパーがいて、それぞれのスタイルで楽しんでいる。
僕らもバンガローを借りて、夜はバーベキュー。
ずいぶんと飲んで就寝。
翌朝、今日も良い天気の予感。
林道を走り、歩くこと2時間。
静か。
静かすぎる景色。
静謐が全てを蹂躙すると、美しいという表現を越えてしまう。
この谷をかつてどれだけの量の水が流れたんだろう。
そして、どれだけのイワナが生まれ、産卵し、また生まれたんだろう。
60センチを越えるイワナを釣りたくて、どんどん遠くに入る自分。
それを拒絶もせず、淡々と受け入れ、そして待ちかまえる。
自然はいつも中立だ。
健さんは僕に気を遣ってか、100m程後ろで釣っている。
ベイトタックルを自在に操り、まるでルアーを置くようにキャストするその姿は、スピニングの自分よりはるかに大自然に受け入れられているように感じた。
水温がグンと下がって魚の反応は少し厳しいようだ。
飲むととても美味しい。
川を歩くこと3時間。
日差しも上がり、張り詰めるほど冷たかった水も少し緩んだ頃、ようやくイワナが反応するようになった。
スプーンのカウントダウンのデッドスロー。
そして、以後の淵や出合では必ず1~2匹ほど。
完全に野生したニジマスの美しさ。
この銀色や虹色は川の中の何から作られるんだろう。
午後になり、標高もグングンと上がると紅葉がちらほらと見られるように。
健さんは許されている感じ。
山を、川を、熊を抱擁する大自然に溶け込んだようなスタンスで釣りをしていた。
だから熊に会ったことないんだよ、きっと。
イワナのサイズはなかなか上がらない。
だけど、がむしゃらに狙うんではなく、淡々と、淡々と釣り続ける。
そして全てをそっと川に戻す。
こういう人がいないところに来ないと、人という存在を考えることができない。
神々の世界で、そっと人や自分のことを考える。
この水を持ってきたボトルにめいっぱい入れた。
その思考の時間に、自分は試される。
若い頃は見えなかったものが、不惑の年を迎える頃には、見えるようになる。
それが何かは誰も説明することができない。
開高健でさえも、おそらく説明できなかったんではないだろうか。
だけど、一つだけ。
そんな場所は初めて来たのに、とても懐かしい気分になる。
心の故郷とはそういうものなのかもしれない。
6kmほど遡って車に戻る。
汲んだ水でコーヒーを入れる。
骨だけになったエゾシカ。
命は輪廻する。
このエゾシカの命はクマにキツネに引き継がれ、そして残った全ては土に帰る。
そしてクマもキツネもやがて土に帰る。
その土に染みこんだ雨は月日を経て川に流れ込み、イワナを育てる。
夜はペテガリ岳の麓の山荘に入った。
夕方に釣った2匹のイワナでイワナ飯を炊いた。
その美味さは予想通りだった。
先に仕込んであったホイル焼きも絶品。
翌朝、最後のダムのインレットへ。
ロッドは9.1ftで再開発に入ったナイトホーク。
繊細さを試すには本当に良い状況。
水面にかかる虹。
支流では美しいイワナが何度か顔を出した。
午後まで釣りを続けたが、結局、最後まで大きなイワナは姿を見せなかった。
釣ったのは35センチが最高で、見かけたのは45センチほどまでだった。
健さんによると、この川は昭和40年代に多くの70UPイワナが釣り上げられたそうだ。
しかし、釣り人が入り続けて大きなイワナは姿を消した。
イワナが60センチを超えるのに何年かかるんだろうか。
おそらく10年近い月日が掛かるような気がする。
エサの多い湖であれば若くて大きいイワナもいるだろう。
が、僕を惹きつけて已まないのは、源流に生きるイワナである。
この日本に残る最後の宝石。
例え、エボシになろうとも、僕はその宝石を求め続けるだろう。
2009年9月20~22日 北海道 静内川 イワナ
いろいろなことに絶望し、
森の中に入ると新しいものが見えてきて、
絶望が別のものに転化する。
開高健の言葉である。
昔知ったときはさっぱり意味がわからなかったが、ようやくこの歳になって全てを理解した。
絶望の中で生きた10代後半から20代、もがいた末に掴んだ手のひらの中の小さなもの。
それを持っている限り、僕はもう惑うことはない。
前の週、僕は中国へ飛んだ。
中国に行ってみると、街や人々に未来への確信と希望が満ちあふれていることがわかる。
それは日本における昭和30~40年代の頃のよう。
誰もが今日よりも明るい明日を見据えている。
日本人がそれを見失ったと言われて久しい。
政治家が悪いのか、官僚が悪いのか。
だけど、結局、誰かのせいかなんて意味がない。
少なくとも僕は、今日よりも明るい明日を心から信じている。
そして、中国でもニオイビジネスの夜明けを迎えようとしている。
日本に帰ってきて翌朝、仕事が遅くなってほとんど徹夜になってしまったがボートで出撃。
今年も東京湾のイナダが絶好調。
ロッドはクロスインパクト73ML。こういう釣りにドンぴしゃ!
鳥山を撃って撃って撃ちまくる。
スーサンでキャッチ。
当日一番反応が良かったのはナバロン150F。このルアー、例の時のルドラを越えるかもしれません。
夕飯はNSFCyooichiさんに教わったイナダのお茶漬け。
イナダをヅケにして、ご飯に乗せたら梅昆布茶を掛けるというもの。
最高に美味かった。
夜は早めに寝ようとしたが、なかなか寝付けない。
何と言っても楽しみだったんだ。
翌朝、6時30分発の新千歳行き。
トラウトのために東京から北海道へ移住した人、健さんが空港で待っていてくれた。
この高くて青い空。
走ること1時間半ほどで静内へ。
サケの遡上が真っ最中。
紅鮭もガシガシと遡上していた。
鮭を狙って大きなクマも来ていた模様。
「ははは、きっと、大きな犬だよ。だってクマは想像上の動物だぜ?」
健さんの言葉。
雲がこんなに美しいと思ったのは今年最初のこと。
僕は9ヶ月も何やってたんだろう。
地面ばっかり見て、ダメだな。
河口エリアでは40センチほどのブラウンが数回ヒットするも、全部はずれる。
そして、一気に上流部へ。
静内のヒロさん(左)と、やること全てクールな健さん(右)。
ダムのアウトレットに。
ここでは何にも無し。
スーパーで買い物して温泉とキャンプ場へ。
温泉の休憩室に大きなクマがいた。
一度でいいから、生きているお前に会ってみたい。
北海道はキャンプ天国。
本当に多くのキャンプ場があり、キャンパーがいて、それぞれのスタイルで楽しんでいる。
僕らもバンガローを借りて、夜はバーベキュー。
ずいぶんと飲んで就寝。
翌朝、今日も良い天気の予感。
林道を走り、歩くこと2時間。
静か。
静かすぎる景色。
静謐が全てを蹂躙すると、美しいという表現を越えてしまう。
この谷をかつてどれだけの量の水が流れたんだろう。
そして、どれだけのイワナが生まれ、産卵し、また生まれたんだろう。
60センチを越えるイワナを釣りたくて、どんどん遠くに入る自分。
それを拒絶もせず、淡々と受け入れ、そして待ちかまえる。
自然はいつも中立だ。
健さんは僕に気を遣ってか、100m程後ろで釣っている。
ベイトタックルを自在に操り、まるでルアーを置くようにキャストするその姿は、スピニングの自分よりはるかに大自然に受け入れられているように感じた。
水温がグンと下がって魚の反応は少し厳しいようだ。
飲むととても美味しい。
川を歩くこと3時間。
日差しも上がり、張り詰めるほど冷たかった水も少し緩んだ頃、ようやくイワナが反応するようになった。
スプーンのカウントダウンのデッドスロー。
そして、以後の淵や出合では必ず1~2匹ほど。
完全に野生したニジマスの美しさ。
この銀色や虹色は川の中の何から作られるんだろう。
午後になり、標高もグングンと上がると紅葉がちらほらと見られるように。
健さんは許されている感じ。
山を、川を、熊を抱擁する大自然に溶け込んだようなスタンスで釣りをしていた。
だから熊に会ったことないんだよ、きっと。
イワナのサイズはなかなか上がらない。
だけど、がむしゃらに狙うんではなく、淡々と、淡々と釣り続ける。
そして全てをそっと川に戻す。
こういう人がいないところに来ないと、人という存在を考えることができない。
神々の世界で、そっと人や自分のことを考える。
この水を持ってきたボトルにめいっぱい入れた。
その思考の時間に、自分は試される。
若い頃は見えなかったものが、不惑の年を迎える頃には、見えるようになる。
それが何かは誰も説明することができない。
開高健でさえも、おそらく説明できなかったんではないだろうか。
だけど、一つだけ。
そんな場所は初めて来たのに、とても懐かしい気分になる。
心の故郷とはそういうものなのかもしれない。
6kmほど遡って車に戻る。
汲んだ水でコーヒーを入れる。
骨だけになったエゾシカ。
命は輪廻する。
このエゾシカの命はクマにキツネに引き継がれ、そして残った全ては土に帰る。
そしてクマもキツネもやがて土に帰る。
その土に染みこんだ雨は月日を経て川に流れ込み、イワナを育てる。
夜はペテガリ岳の麓の山荘に入った。
夕方に釣った2匹のイワナでイワナ飯を炊いた。
その美味さは予想通りだった。
先に仕込んであったホイル焼きも絶品。
翌朝、最後のダムのインレットへ。
ロッドは9.1ftで再開発に入ったナイトホーク。
繊細さを試すには本当に良い状況。
水面にかかる虹。
支流では美しいイワナが何度か顔を出した。
午後まで釣りを続けたが、結局、最後まで大きなイワナは姿を見せなかった。
釣ったのは35センチが最高で、見かけたのは45センチほどまでだった。
健さんによると、この川は昭和40年代に多くの70UPイワナが釣り上げられたそうだ。
しかし、釣り人が入り続けて大きなイワナは姿を消した。
イワナが60センチを超えるのに何年かかるんだろうか。
おそらく10年近い月日が掛かるような気がする。
エサの多い湖であれば若くて大きいイワナもいるだろう。
が、僕を惹きつけて已まないのは、源流に生きるイワナである。
この日本に残る最後の宝石。
例え、エボシになろうとも、僕はその宝石を求め続けるだろう。
- 2009年9月20日
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