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村岡昌憲

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Area16  ~利根川の最初の一滴 その2 ~



~利根川の最初の一滴 その1 ~ へ戻る


 

 



 

翌朝、5時に起床。朝食を済ませて出発。







ゴルジュが速くも迫ってきた。



 

「今日は釣りをしながらゆっくりと行こう。」

師匠の言葉で僕と山ちゃんが交互に竿を出しながら進んでいく。




が、魚の反応は渋い。

追ってきてもすぐに見切るし、とても魚がいそうな淵でもまったく追ってこないことも。



しかし、速いピッチのトゥイッチに何匹かのイワナが反応してくる。

メガバスのLive-Xスモルトにすごく反応してくるので、それで粘っていたらやっとヒット。






サイズはかわいいものだが、今晩の飯でもある。

大事にキープ。








青空も出てきて良い感じ。

何もかもが美しく、そして寡黙だ。








やがて、急峻なゴルジュ帯が一気に狭くなる。

ヒトマタギと呼ばれる地点に到着。

あの広大な利根川をまたげるのである。
 

 










そして、さらにゴルジュの中を突き進んでいくとき、事故が起きた。







山ちゃんが着地を誤り、アキレス腱を断裂。





師匠の介添えで300mほど下流に移動。

沢の出合いに辿り着いた。




 

山ちゃんの状態は悪く、まったく歩けそうもない。

師匠の判断は迅速だった。さっそく救助要請をする、一言だった。




そこで今後の状況を打ち合わせる。

師匠は下流に救助要請を出しに行く。僕は山ちゃんと共にひたすら救助を待つ。




しかし、師匠が行けるのは河口まで。

ダムの奥の河口に誰か来ないことには救助要請すらできない。

その場合、山には入る際に出した計画書の通り、下山予定の5日が過ぎて数日経ってもまだ戻らないということで8日ぐらいに捜索願が家族や仲間から出ることを期待しないといけない。





まだ3日の午前である。







タープ一枚を張り、そこでひたすら待つ。






食料や装備を二人で確認する。

お米は二人合わせて8合。おかずも色々あるし、塩と醤油があるからイワナを釣れば十分にある。

水は目の前を大量に流れている。

最悪の最悪という展開を辿っても餓死という展開はない。

増水した場合の避難場所もしっかりとチェックしに行く。






僕は仕事でもそうだが、いつでも最悪の展開を想像する。

基本的に性格はネガティブなのである。

最悪の展開を辿ったときの準備、対応、心構え、あらゆる点をしっかり確認して、初めて安心する。

そうすれば、楽観的にあとはやるだけなのだ。

そうして人生を生きてきた。






何もなければ、ただの苦行でしかない重い重いザック。

しかし、今回のような展開になったとき、持ってきて良かったと思うものがいくつもあった。






ただ、食料だけは日数を稼ぐためにも、やや控えめに食べていこうと、お昼は中華三昧を茹でて食べる。





僕はというと、やることがあんまり無い、というか、待つことがやること、という状況に途方に暮れた。



長い間、せっかちに突っ走って生きてきたから、ぼぅっとすることを久しくしてないのに、いきなりこんな状況である。



岩の上で半日、ずっと考え事をしたり、うたた寝をしたり。



午後に昼寝をしていたら、山ちゃんがほふく前進で這っていくのでトイレするのも大変だなと思っていたら、なんと釣りをし始めた。



源流テンカラ師の意地を見て、あきれる(笑)














やがて、日が暮れる。









夕飯はご飯を一合炊き、レトルト食品で片付ける。

あとは焼酎をちびりちびりと。




辺りは闇に包まれ、川の流れるザーザーという音だけしかない世界。

テレビもラジオも携帯電話も入らない状況で、人ができるのは話すことだけ。

山ちゃんと仕事から家族から色々なことを話す。





思った。人は色々なものを持ちすぎたんだ、と。

それでコミュニケーションという大切なものを失おうとしている。

そして、待つ、信じて待つという力が弱くなったことも。

ほんの20年前まで携帯電話はなくて、人は待ち合わせをしたらそこで待ち続けるしかできなかった。

家や会社に公衆電話から安否を確認したり、伝言を頼んだり。

しかし、根底にあるのは、信じて待つ力だった。

待つ力が弱いと、人はイライラし、不安に包まれ、不信を募らす。




待つ力、今の現代人が携帯電話を手に入れて、失った一番大きなものだと思った。



「きっと来る。」「きっと帰ってくる。」



待つ力、信じる力。もっと大事にしていかないと。

 

 

 

 

 

しかし、つい考えてしまうこと。

師匠が下流に向かう最中に不慮の事故に遭っていたら、もうどうにもならない。

だけど、僕らにできることは、待つこと。心静かに、取り乱さず、ただじっと待つ。




そう思いながら眠りに落ちた。








翌朝、ヤブ蚊の襲撃で目を覚ます。

タープの下には数百を超す蚊が渦巻き、応戦するもどうしようもない。

寝ている間に僕は百数十ヶ所を刺されていた。



手なんてボコボコ






やられたらやり返す主義である。


この落とし前は当然つけてもらおうと蚊の撃墜を試み、百数十匹を握りつぶしたが、一向に数が減る様子がないので、あきらめた。





山ちゃんを振り返ると、蚊に囲まれて霞んで見える。

ここにいるのもイヤになって、シリアルを食べて釣りに出かける。








しかし、昨日の戻る最中のドタバタでクワトロのティップがぱっきりと折れてしまっていた。

ということで、ウルトラヘビーアクションの5ftロッドと化したクワトロでガシガシとスモルトを動かしていく。




ザックがないので移動が速い。



セルフタイマーで撮ってみた。





7m滝の高巻き中。30kg近いザックを背負っていると落ちない為に必死でまったく余裕がないが、空身なのでこれまた自分で撮影。







高巻く度に本当に美しい淵が次々と現れる。

しかし、高巻きは渕尻にいる番兵イワナが僕に気付いて逃げていってしまう。

するとその淵は沈黙する。





上に上がらずに、岩盤をヘツリで進んで、身を低くして挑んだときだけ魚の反応が出る。




ヘツリは高等テクニックで、僕のクライミング技術ではまだまだ難しいところがたくさんある。




特にここは奥利根の本谷だ。



何度も滑落して、水に落ちる。



もちろん僕が怪我したらいけないことは重々承知しているので、落ちたら無傷では済まないところでは絶対にリスクを取らないよう心がけた。



あくまで水の上にいるときだけ果敢にヘツリで進み、落ちたら泳いで進んだ。





2km程上がったところで出た32センチ。唯一の尺イワナだった。





時計を見たら10時。

もし、今日の朝に救助隊が動き出していれば、そろそろ来るという時間だ。


都合、4匹のイワナを持って川を下ると到着したところだった。




ザックの中身がほとんど外に出ていて、まったくパックできてなかったので慌ててパッキングする。

「いつ来てもいいように準備をしておかないと!」

師匠に怒られる。本当にその通り、反省。



師匠に聞いたら、昨日の午後にダムの河口に着いたら、釣り船が一艇いて、その人は師匠のことを知っている人で迅速に対応してくれたらしい。

そして、高柳氏の船で警備隊を乗せて朝7時から遡行してきたのだ、と。





僕らが6時間で来た行程を3時間で来た警備隊。

師匠も必死に着いてきてけど、ヘトヘトで、つい一言。

「あいつら、同じ人間とは思えないぜ。」

 






 





総勢7名の群馬県警、谷川岳山岳警備隊。

心強い味方を得て、あとは全員が無事に帰り着くだけ。








出発時、僕は山を振り返って、心に決めた。

利根川の最初の一滴を拝むことは今回は断念するけど、来年必ずまた挑戦するぞ、と。






大の男を背負って、岩をよじ登る救助隊の体力には本当に驚いた。

そして、その裏には日頃の過酷な訓練があることを思うと、本当に頭が下がる思いだった。

戦後だけでも、何百人もの命を懐に飲み込んだ谷川岳。

だけど、その魅力を求めて止まない多くの登山者達。

それを後ろで支える彼らの活躍を僕は間近で見ることができて本当に貴重な経験をした。

 

 

釣りという遊びに取り憑かれ、懲りない僕らは、いつだって彼らの事を忘れてはいけない。

そして、少しでも準備と心構えをしっかりして、決して頼る事がないよう遊ばないといけないのだ。




















ドドーン!




12時を過ぎた頃、突然頭上に雷の音が。



まずい、と思う間もなく、大粒の雨が落ちてきた。



救助隊や師匠の顔が曇る。



「まずいな。増水するぞ。」



「急げ!」







川が急に濁りだして水かさがどんどんと増してくる。

山ちゃんを乗せたボートは流しやすくなったけど、危険な流れが多く発生し、立ち往生気味に。

 

僕と師匠は救助隊を手伝いつつも、ほとんど見ているしかできない。

師匠がボソリと言う。

「こういう時が60イワナのチャンスだ。増水が始まる瞬間と、終わる瞬間。その時にこの谷にいないとダメなんだよ。」



もちろん釣り竿なんて出せる雰囲気ではとてもないが。







60イワナを釣る秘訣。それは、この逃げ場のほとんど無い谷で、増水する瞬間を待つこと。

その難しさに僕は少し膝が笑うのを感じた。














雷雨は容赦なく降り注ぎ、左右の支流からは豪快な滝が次々と出現し、本流は激流となった。








初日のクライマックスだった巻淵まで何とか辿り着いたが、あまりの荒れ狂い方に、しばらく待機命令。



もしかしたら、ここで一夜を過ごすとのことで、何とか今日のうちに帰りたいと思いつつも、あらゆる状況に対応できるよう準備をしておく。

特にお腹がペコペコで、体が冷えるので必死で食べて保温に努めた。










やがて雨は上がったが、増水は止まらない。

が、水かさが一気に増える川は引くのも速い。

雨が上がって1時間半が経過した頃、水位も下がったということで再度下流へ向かうことに。



あんまり変わってないと思いますが・・・




巻淵を抜けた頃、青空が顔を出して太陽の光が降り注ぐ。



冷えた体が束の間の暖かさに浸かる。



特に山ちゃんは水浸しなのに体をほとんど動かさないから、3時間以上も歯をガチガチとやっている。



僕は叫んだ。



「こら!太陽、もっとガンバレ!」










 



しかし、奥利根の山々は翻弄する。



また、容赦ない雷雨が始まり、激流の中での救助活動が続く。










その後も必死にみんなで山ちゃんを引っ張る。








途中の休憩から、河口で船を寄せて待っているはずの高柳氏に無線連絡が取れない。



隊員の誰かが口にした。



「日が暮れるとまずいな。」








今日は帰ってこないのか。






高柳氏がそう考えてダムサイトに戻ってしまったら、こんなに苦労して帰ってきた意味がない。







僕は焦って、スピードを上げた。







河口はとても広い。





僕のヘッドランプを一刻でも早く見せれば、出発を思いとどまってもらえる。






スタミナも限界で息が苦しいけど、今の僕にできることはこれしかない。





ぬかるみの中を必死に小走りに走る。






何度も川を曲がる度に、河口が見えてこないか期待するが、ひたすらゴロタの川が続くのみ。







そして、何回かの落胆を経て、やがて僕の目に光が飛び込んできた。





















もう見えなくなる寸前の闇の向こうに、大きな焚き火の火。









俺は生涯、この光を忘れない。






それくらい、暖かくて優しい、帰りを信じて待ち続ける人の光だった。

















そして、遅れること15分ほどで全員が到着。



山ちゃんは低体温症になっていて、可哀想なくらいだったが、焚き火がそれを温める。












帰りの船。

 











ダムサイトは全ての電気が付いて、パトカーや救急車の光が点滅していた。










本当に多くの人を巻き込んでいることに、改めて申し訳ない気持ち。





ここで僕もやっと携帯に電波が入り、たくさんの留守電を聞く。

地元の新聞に救助活動開始のニュースが出ていたらしい。






そのまま六日町の僕の車が置いてあるところまで向かって、その日は車中泊。



山の世界では、こういう事があったときは、出直してお礼参りをしなくてはいけないそうだ。


次の日にお礼参りをする予定だったが、また別の日に改めてということになり、解散。








帰り道、谷川岳連邦が雲の間から少しだけその気配を漂わせていた。

なんだろう、ただ見上げているだけなのと、その世界を知っているのでは、山の見え方が違う。





午後に家に到着。








山頂の山小屋で食べる予定だったうな重を家で作って食べる。








 

山頂で食べたらこの数千倍美味かったんだろうな。

 

 

 

そして、必ず60イワナを我が手にしてやる。





 

2009年、奥利根本谷、遡行計画終了。





















 

お詫び

谷川岳山岳警備隊、高柳様、伊藤様、水資源機構、各関係者の皆様

 

今回、多くの方にご心配をお掛けした事をここでお詫びいたします。

大変申し訳ありませんでした。

そして、本当にありがとうございました。





お詫び

谷川岳山岳警備隊、高柳様、伊藤様、水資源機構、各関係者の皆様

 

今回、多くの方にご心配をお掛けした事をここでお詫びいたします。

大変申し訳ありませんでした。

そして、本当にありがとうございました。









 

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