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関根崇暁

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BlueBlue.jpg 「背中に背負う蒼色は鳥から見た海の色」 「お腹に抱く蒼色は魚から見た空の色」 「BlueBlue 海を愛する人へ―」 「Where's your Blue?」 ima_banner.gif 株式会社アムズデザイン運営のima公式web site。シーバスルアーkomomo,sasuke等の紹介。ルアーテスターの釣行記、コラム等も掲載。

東京湾 利根川東遷事業と遡上魚達 その2

川には歴史がある、人々が営んできた川との暮らしがある、一見釣りには無関係に思えるその歴史も、紐解く事でこれまでとは別の視点・観点で釣り場を視ることが出来る。


普段何気なく、乗っているゴロタ石も、数百年前に人が運んだ護岸の跡かもしれないのである。


過去の歴史の中で、人々は洪水と闘ってきた。そして、利根川東遷事業も東京湾への大水の流入を防ぐ為に、利根川を渡良瀬川、鬼怒川へ継ぎ、荒川を入間川へ継ぎ、蛇行する川を真っ直ぐに流れる水路へと変えてきたのである。



嘗て、渡良瀬川遊水地のある現在の古河市~水海道、印旛沼や砂沼、牛久沼などの沼地、龍ヶ崎、水郷と言われる潮来の霞ヶ浦北浦まで広大な干潟と湿地帯で覆われていた。


※画像は行政のHPからお借りしています、問題がある場合は対応いたしますのでご連絡を下さい。

開拓、干拓事業で多くの湿原は、水田となり米作り、石高を伸ばし、その国の時代を繁栄させる基になった。

最近でも、地域は異なるが、有明海の諫早干拓事業が有名である。所謂、海を「ギロチン」と呼ばれる塀で囲み淡水化して干拓して水田をつくるという事業がある。

国の減反政策とかで作りすぎによる米価の下落を防ぎ、米の市場価格を安定させる為、生産量に規制をしているにも関わらず、もう片方の国家権力とい手は米を作る田を広げようとしている。

これも生物多様性が損なわれた、有明海の漁獲に、海苔の生産に大きなインパクトがあったと問題視されている。

これ以上この件について話すと元に戻れなくなるので、これはまた何時かの機会で。



さて、話はそれたが、東京湾とは日本一スズキが多く、日本一釣りが出来る場所が少ないフィールドであると思う、でも河口から少し上れば、釣り人などいない自由なフィールドが無限にある。


釣れるか?釣れないか?は別としても、自由に釣るならその方が精神衛生上にも良いと思う。

 

僕が利根川の釣りの中で利根川東遷事業に辿り着いたのには理由がある。


多くのダムの建設で、人的な要因で水量のコントロールを、された本流はどうなるかをご存知だろうか?


地下水脈は変わらないから、海には変化が少ないかもしれないけど、川を上る魚はその道である遡上コースの変更を余儀なくされた。


それを想像するには、自分が魚になってみるのが宜しい。
どうやって上ってくるのか?どこに付くのか?どこを目差すのか?どこで迷うのか?




それが釣りを組み立てる上での魚探しで役に立ちます。



ここからは、自分がマスか鮭にでもなったつもりで聞いて下さい。



北の海から旅をしてみます。



遠くシベリア、ベーリング海峡からの長旅の末に、産卵期を迎えんとする頃のこと、故郷の大河の呼び水に目を覚まされたように川を上る旅が始まります。

縦に長い日本列島、一度南下してから再度北上すると、生まれ故郷の利根川があります。

本当は利根川を上るはずだったのに、浦賀水道から故郷の大河と同じ水の匂いがします。

近道をして東京湾から遡上することにしました。

ところが・・・様子がおかしい。




荒川からも、江戸川からも、小さな運河からも、同じ匂いの水が流れてきます。

もちろんこの時点で知る余地もありませんが、銚子に流れ込む大きな利根川も同じ匂いの水が流れています。



貴方はどれがどれだかわからなくなりました。



それでも、何とか江戸川を使って、生まれ故郷を目指す事ができそうです。

運よく江戸川に入れたようです、関宿までくると 第一関門の関宿水閘門があります、歴史的なコンクリートの建造物です、ゲートはディーゼルエンジンを使って開けます。


ゲートがあがるとそこは急流、勢いをつけて何とか上りました。



更に先に進むと今度は大きな川が合流しています、でも良く見れば、流れ下る川が2本に分かれているではありませんか?ここは分流された利根川と江戸川の分岐点の様です。


これで、水と川幅が今までの倍になりました、水質も良くなり、どこかの釣堀から逃げたのでしょうか?アブラビレを付けた仲間の虹鱒も泳いでいます。川も広々として上りやすいです。



上流で川が大きくカーブしています、外側には大きな積み石の山が見えます。


内側は泥と砂で出来ています、ここが沈所の跡です、大昔の護岸だと言います。

最初の休憩はここで過ごす事にしました、流れも深く、外敵の鳥も、釣り人も居ません。

今日のところはここでゆらゆらと漂いながら一晩過ごす事にしました。

翌朝、さて、秋まで時間がありません、再び上ります。

新幹線や国道の橋が見えます、川の中央にも積み石の島が幾つもあります。



左に右にと、障害物を避けながら、上ります。



きっとこの界隈は過去に洪水の多い難所だったのでしょう。
その先で大きな分岐があります、二択問題です、右が渡良瀬、左が利根川。


そこで、本流志向の貴方は、左の利根川を選びます。



ここから先は、異常なくらい砂地です、まるで砂漠の様です。
砂底の砂漠を進むと、さっきの様な石積みがありました。


休むならここですね。


ここの地名は「下村君」って書いてあります、変わった地名ですね。


さらに進むと、また大きなカーブです、相変わらず外側は積み石内側は砂です。

生まれた頃には無かった新しい橋が見えます、ここが「釣りビジョン」で「村岡さん」が昼間に大魚を掛けてた場所ですね?(笑)



さて、有名な堰が近づいてきました、伏流水も多いこのエリアは産卵に適しています。


ここらで生むことにしましょうか?


おやおや、ここは釣り人が沢山います、危険なので更に先に進むことにしました。


狭いながらも小さな魚道を精一杯上ります、すると左にガラスが張られています、中には魚を観察する人がいました、よく見ると「工藤さん」に似ていますが・・きっと人違いでしょう。

こちらは魚を観察してる人を観察してる暇はありません、更に上流を目差します(笑)



そこからしばらくは池の様に水が止まっていますが、すぐ左に水路があり、物凄い勢いで水を引き込んでいます、これは荒川へ流れている武蔵水路(導水路・見沼代用水)だと書いてあります、ここで貴方は東京湾に流れ込む色々な川や水路から故郷の大河の匂いの水が流れてくる理由がわかりました。

 

そこからもうすぐで、かつて一番鮭が産卵したとされるエリアです。
ちゃんと砂利があって砂に埋もれる事無く、卵も孵化が出来そうです、傷だらけですが、長旅をしてきたつがいの相手もいます。


この本来の遺伝子を、貴方はこの場所に残す事にしました。


おしまい





さて、このお話には、幾つがヒントが入っていますので想像してみて下さい。


数百年前のマンメイドストラクチャーです、気になる方は本流へ行きたくなるでしょう。



でも、その前に、地域の図書館へ出向いて下さい、書店には売られていない本があります。

「大利根百話」(建設省関東地方建設局監修)発行年月:1987.11

まずは、この本をごらんになることをお勧め致します。

 

その3へ つづく 

■利根川東遷事業を詳しくしりたい方はこちら↓
http://www.ktr.mlit.go.jp/tonejo/shoukai/2-2.htm


■今回も即興で書き上げていますので、皆様のご意見・ご感想をお待ちしています。

■皆様の反響によって継続するか否かを決めたいと思います、また、ソル友、ファン登録、fimo会員登録をお願い致します。

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