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関根崇暁

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BlueBlue.jpg 「背中に背負う蒼色は鳥から見た海の色」 「お腹に抱く蒼色は魚から見た空の色」 「BlueBlue 海を愛する人へ―」 「Where's your Blue?」 ima_banner.gif 株式会社アムズデザイン運営のima公式web site。シーバスルアーkomomo,sasuke等の紹介。ルアーテスターの釣行記、コラム等も掲載。

釣り人の観点、魚の価値

釣りにおいて、本当に価値のある魚とはなんだろうか?と考えてみると。

大物?高級魚?希少種?

どれも違うような気がしている。

皆、一言で価値観と括るが、例えば釣魚は食料として価値だけではなくなっている。食料としての価値、そこに費やした、時間やお金や情熱に対しての対価は、本当にそんな魚の価値を求めているとしたら、釣りという手法は合理的ではないと言える。

まして、釣った魚を売るとしたら、売価の高い高級魚をとなるが、それもそもそも釣った魚を売るというのは、漁であり、本職の漁師さんに任せる世界である。

希少種にしてもそう、釣りの対象魚としてどうか?と考えたとき、それこそ結果に対して非効率な事は無い。

釣りにおける、一般的な尺度での魚の価値はあまり大きな要素ではないのではないか?と思えてくるわけである。

釣り人として価値を求める部分は、千差万別であり、自由で良いのであるが、リリースを前提としている、ゲームフィッシングとして考えた時、価値というのは、ゲーム性の高さという部分が大きいと思えてならない。

場所、条件、その中で組み立てたゲーム性。

そして思惑どおりに釣れた魚、釣れなかった魚、そして意外性。

魚が釣れた。という事実でそこは満たされるもの。

きっと、それが価値である。

その後の楽しみ方には、魚を食すという方法もあるし、写真を撮るという楽しみもあるし、魚拓や剥製にするという場合もあるだろう。

釣れた次の瞬間には、釣れたという事実は過去のものになってゆく。
次は釣れるかはわからないのである。

釣人の誰かに自慢したいという自己顕示欲。
この魚は、誰にも釣らせたくないという独占欲。

魚が釣れる人、上手な人ほど、その部分は控えるべきであると思う。
初心者のうちはそこに貪欲でいいのだけど、ある程度を超えると見苦しい。

僕は嘗てそんな自慢をしていた頃を思うと恥ずかしさ極まりない。

そこは思い切って、釣った人の話を聞いてあげる側、釣れない人が釣れるようにアドバイスする側に成ろうではないか。

魚を釣る事が上手な人がそうであるとしたら、凄く価値のあること。

人としてもね。

そして、誰かが釣ってくれて、喜んでくれるのが大きな価値。

釣り人として最高に価値のある魚は、仲間が釣ってくれた、そんな魚の事なのではかいかな。


では、皆様、良い釣りを。




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