プロフィール

関根崇暁

福岡県

プロフィール詳細

カレンダー

<< 2024/3 >>

1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

検索

:

アクセスカウンター

  • 今日のアクセス:120
  • 昨日のアクセス:57
  • 総アクセス数:1088165

QRコード

BlueBlue.jpg 「背中に背負う蒼色は鳥から見た海の色」 「お腹に抱く蒼色は魚から見た空の色」 「BlueBlue 海を愛する人へ―」 「Where's your Blue?」 ima_banner.gif 株式会社アムズデザイン運営のima公式web site。シーバスルアーkomomo,sasuke等の紹介。ルアーテスターの釣行記、コラム等も掲載。

東京湾 利根川東遷事業と遡上魚達 その3

利根川や東京湾、利根川東遷事業に纏わる釣りの彼是をシリーズでお話しています。


前回は利根川を上り、鮭の産卵にお付き合い頂きました。


利根川は谷川岳を源流にして銚子まで流れる東西の横に長い川。


流域面積は日本一、長さは信濃川負けますが。


なんてったって、天下の坂東太郎よ!と流域の人たちの誇りなのです。太古の昔、本来の河口は東京湾、今は全体のながれを二分して東京湾と、銚子から直接太平洋へと流しています。

利根川も季節は2月。まもなく鮭の稚魚が目を覚ます時期になります。



鮭っこは、んまいっぞ、なんてったってょー小さくても味は鮭だもんな。
という餌釣りのおじさんがたまに居ますが、その上流では小学生が一生懸命に育てて放流しています、この国の仕組み。そのものを見ている様なので止めて下さい(笑)

話したい事は色々あるのですが、今回は、3回目にて霞ヶ浦の話にします、この水系も重要なので。

さて、それでは、いきますか。


利根川を下り、佐原まで行くと琵琶湖に次ぐ日本で二番目に大きな湖がある。


霞ヶ浦である。

 

霞ヶ浦、北浦、与田浦、外浪逆浦を始めとする、大小の淡水湖群、そこは水郷と呼ばれる。

嘗ての霞ヶ浦という湖は、帆掛け舟によるワカサギ漁が盛んな湖で、ヘラブナ釣りのメッカでもあった。

ワカサギやフナの甘露煮が有名で一度食してみる価値はある。

現代ではバス釣りで有名になったのであるが、外浪逆浦、常陸利根川の先には、利根川本流と黒部川、それと常陸利根川の三本を纏めての潮止水門がある。

今から40年前に出来た堰、利根川河口堰である。


霞ヶ浦から始めてバス釣りの話でもするのか?なんて思われてるかもしれないが。

そうではなく今回はスズキの話。

でも 利根川本流ではない。




僕らが嘗て仲間達とバス釣りに夢中だった頃、毎週の様に霞ヶ浦の本湖へ出かけた。理由は大きいのが沢山釣れたからである。

二桁は当たり前、その中に40cmを超えるのが二桁なんて日もあった
りとにかく20年以上前はバスが凄かった。仲間達内では幻の60UP?という話があった。


12LBが・・16LBのラインが切られたとか、何も出来なかったとか・・色々。


そんなときは決まって向かい風で、湖が少し荒れ気味になって、イナっ子が岸際に吹き寄せられてる時。



ある日、仲間が見慣れない魚の死体を見つけた。このバス死んでるけど60あるんじゃん?的なものであるけど、それは当時はランカーバスの痩せた死体だと思っていた。

今思うと、それは普通にスズキ。



それとメッキの死体とかも稀に岸に打ちあがってる事があり、GT!GT!とはしゃいでいた仲間もいたりした。


そう、もともとは汽水湖だから、当然、海の魚が何かのタイミングで入ってくる。


ラインブレイクの正体も多分スズキで、ドラグがフルロックのバスタックル。何も知らない僕等、そりゃ切れる。



前回、海と川を行き来する魚に鮭がいるという話をしているが、北浦で迷った鮭が網に入ったという話を聞いた事があるのだけど、それは迷った、つまり迷入ではなくて、もともといた可能性もある。


鮭は意外にも小さな流れ込みでも差すから、そういう可能性が否定できないと言う意味。



 


そんな中で、鰐川に近いホームのあるポイントで、仲間の一人がシーバスを釣った。


50cmくらいだっただろうか?当時は少し話題になった。

バス狙いのバイブレーションプラグにヒットしたのである。



そもそも、そのポイントは使い終わったスピナーベイトのブレードやクランクベイトのフックが錆びたりするエリアだったから、何となく潮水の存在は知っていたけど、バスやブルーギル、鯉やヘラブナとスズキが共存している事が大きな発見だった。

 


ただし狙って釣れるか?といえばそうではなく、大型のミノープラグを投げまくっても結局バスが連発するだけであった。

利根川のスズキを追うにあたり、ほんの一時期ではあるけど、霞ヶ浦水系のシーバスを探していた時期があった。

これにも根拠はある、海からの魚が居る事、湖のあちこちに。

霞ヶ浦の海水魚、それが存在しているのは、不思議な事ではなく。


この湖の歴史に由来しているということ、もともとは海からの砂で堰きとめられたラグーンであるから、海水魚が入ってくるのは当然の事なのである。

霞ヶ浦には物凄い量のベイトがいる、ワカサギ、ヒガイ、テナガエビ、、サヨリ、鮎、ベイト由来の遡上であれば、スズキにとっては、レストランであり、水量の安定した、生命の揺り籠のはずである。


もともと利根川が流される以前は、鬼怒川や小貝川などの河口にあった湿原と汽水湖であるのだから、海の魚が棲んでいないほうが、かえって異常って事になりかねない。

常陸利根川では、餌釣りによるセイゴ釣がある。本当はタイミングが合えば、普通に釣れるって事かもしれない。

もちろん、僕の結果は散々だったけど、今でも狙って釣れるはずだと信じている。


もう釣ったよ?えー?普通に釣れるけど?って方はこっそり教えて下さい(笑)



話は歴史に戻り、利根川東遷事業の最終的な出来上がりは、利根川を霞ヶ浦と分離して、黒川、常陸利根川として海に流す方向で開拓は進められて行くことになった。

後に長野県にある浅間山の大噴火(1783年)に見舞われ火砕流と火砕泥流がそれに伴う洪水が発生し、多くの死者を出す大災害が起きた。

埋まってしまった流れをスムーズに流す為に、川のあちこちで浚渫(川底を掘る)が進められ、現在の流れになったものであるとされる。

勝手に河口堰とかダムとか作って流れを変えやがって!というお気持ちになる釣師もいるかもしれないが、多くの人命が災害の度に奪われ、田畑を破壊され、家屋を流された当時の人々の事を思うと、そうも言っていられないという現実がある。



もう取り返しが付かないのか?と諦めることも無い。


現代の新しい取り組みの動きもある。


それは「霞ヶ浦導水事業」だ、先に述べたとおり、嘗て霞ヶ浦の水は川と繋がっていて、今の様に流入河川が少なく富栄養化することなく、常に水が入れ替わり、水質も良好だったという。

その頃であれば、涸沼と変わらないか、もしかしたらそれ以上のシーバスのフィールドだったかもしれない。

この事業は何でも数千年前の様に、那珂川と利根川から導水して霞ヶ浦を遊水地として使う計画との事である。

当然、水質は改善されるだろうし、常陸利根川の河口堰には、最近魚道整備されているから、このフィールドの未来は楽しみである。

澄んだ湖水に帆掛け舟が浮かび、海から遡上したワカサギ漁をしている。貴方は朝霧の中、シーバスがボイルする沖へキャストを繰り返す。
そんな素晴らしい湖、水郷の復活を願わずにはいられない。

この事業で官民のベクトルが良い方向に向けば、霞ヶ浦、水郷の生態系の復活し、人が復元した未来のフィールドが生まれるかもしれない。


水質の改善、潮止め水門の開門、汽水湖の復活、その未来は明るい。


※本文はひとりの釣り人としての見解ですので、間違った認識・表現などありましたら、是非、ご指導、ご指摘願います。



その4につづく・・の??



■霞ヶ浦導水事業を知りたい方はこちら↓     http://www.ktr.mlit.go.jp/dousui/002jigyou/01gaiyou.htm


■利根川東遷事業を詳しくしりたい方はこちら↓
http://www.ktr.mlit.go.jp/tonejo/shoukai/2-2.htm


■皆様のご意見・ご感想をお待ちしています。


■もっと書いてくれと思っていただける方、遠慮なく、ソル友、ファン登録、fimo会員登録をお願い致します、お気軽にどうぞ。

コメントを見る