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関根崇暁

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BlueBlue.jpg 「背中に背負う蒼色は鳥から見た海の色」 「お腹に抱く蒼色は魚から見た空の色」 「BlueBlue 海を愛する人へ―」 「Where's your Blue?」 ima_banner.gif 株式会社アムズデザイン運営のima公式web site。シーバスルアーkomomo,sasuke等の紹介。ルアーテスターの釣行記、コラム等も掲載。

孤独であるが故に、仲間がいる

釣師は孤独である、そう孤独であるべきだ。


孤独な釣師は、時に別の世界にいた孤独な釣師に出逢う事がある。


長い年月を掛けて、誰にも理解されないような事を続けている者同士が共感、共鳴し合える瞬間がある。


それはとても素晴らしい事だ。

それさえ有れば、また孤独な日々を歩んで行ける。




僕等は孤独に生まれたのではなく、孤独に生きる道を選んだのだ。


人は言う、それは価値観が違うのだよと。


実に便利な言葉である、価値観が違うというだけで、それ以上の理解を止めて、相手の信号を遮断して、片付ける事が出来てしまう。


釣師はその違いが何か?を求める求道者である。

水面を幾ら眺めていても、その答えが浮いてくるわけでも、湧いてくるわけでも無いことは知っているつもりであるが。


荒れた心が静まり、落ち着く場所がそこなのだから、仕方が無い。


釣師は、水辺にて釣竿を持つ事で、少し格好が付くが、釣竿無く水面を見つめるその姿は、只の放浪者であるかもしれない。


魚を釣る事で癒されるものなど無いと思うが、この世は心の時代だ、精神の時代と、言葉だけが一人歩きして、何時しか釣りで何か癒されるものと考える人も出てきた。


冬の季節というものは、様々な事を考える時間を与えてくれる。



深い考察もまた独りでするものだ、釣りも独りでするものであると思う。

時には仲間との釣りも悪くは無いが、個と個が偶々そこに居合わせただけで、そのひとつの空間には独立した別々の世界が存在している。


それでも、それが理解し合える仲間であるとしたら、それほど愉快なものは無い。


例えば、此処、fimoはそういう事を具現化してくれる場所なのである。


僕は此処で様々な人と繋がる事が出来た。

そして大変、有意義な時間を授かった。

そんな釣り人生も悪くないと思う。



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