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関根崇暁

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BlueBlue.jpg 「背中に背負う蒼色は鳥から見た海の色」 「お腹に抱く蒼色は魚から見た空の色」 「BlueBlue 海を愛する人へ―」 「Where's your Blue?」 ima_banner.gif 株式会社アムズデザイン運営のima公式web site。シーバスルアーkomomo,sasuke等の紹介。ルアーテスターの釣行記、コラム等も掲載。

釣り人が成長する為に必要なもの。

魚を釣るのが釣り、されど本当に釣るだけで満足だろうか?

私は釣るだけで満足というご意見の方も居るかもしれないけど、少なからずそれに飽きてしまった日から釣る理由を失う人という種類の釣り人もいる。

そんな理解され難い「孤独な釣師達」へ。

今夜も僕は思いのままを綴っている。


釣人が釣人として成長するのに必要なものが三つある。


それは、良きフィールド、良き魚、良き仲間。

そもそも良いフィールドとは何か?

何も、そこは風光明媚な場所である必要も無く、遥か彼方の秘境でもなく、身近な場所にこそ実は存在しているものである。

例えば、タナゴを釣るようなホソ、そんな小さなフィールドにも大きな世界があり、刻一刻と状況は変化しているもの、釣り人はそんな場所にまでも想いを馳せて、創意工夫、試行錯誤、その努力を惜しまない。

それとは逆に、手の施しようのない広大なフィールドも釣り人を育てる。
僕の経験に当てはめるなら、それは利根川や荒川、筑後川などの大河である。広大なフィールドという未知の世界、その全体像を断片的なヒントの欠片から集約して一つの季節を知ってゆく過程が、何よりもその醍醐味たる部分である。

そして海、そこは無限に広がる蒼き世界、僕等、全ての生命体の起源はその海岸線であり、大きな目線で、自分の存在はどんなものなのかを自問自答する場でもある。

生まれながらに人は、絶対的な未知を、五感を駆使して理解しようとする。
それは危険なものか、安全なものかを確かめる前に、好奇心が優先される。

好奇心は釣りをする理由に必要な要素である、釣果意外に好奇心無く、無関心なままでは、その先は無い。

そして好奇心を探究心に変えた時、真のフィールドリサーチが始まる。

つまり、隣の釣り場は気になるものだが、敢えて目前のフィールドを深く知ることに大きな意味があったりする、ホームのフィールドを誰よりも熟知した時、明確な釣の自由を手にする事になるだろう。

釣り人は成長と共に行動範囲を広げて、やがて故郷を離れ、故郷を探し求める。
フィールドは常に変化の渦中にある、輝かしい時代も何時かは過ぎ去り、自分の釣りをより楽しむ為に、自分のフィールドを捜し求める。

何時か見た原風景、そこに僕等、釣り人の源があると思っている。
本当の良いフィールドに辿り着くその日まで、その探究心が燃え尽きる事はない。



次に、良き魚とは何か?

それは大物である必要はあまり無く、釣果として記録される必要性もさほど無く。
実在するのかすら不明確でも構わない。その釣り人の「目」に焼付いた魚かどうか?の方が重要であると考える。

たった一匹で良い、逢いたい、手にしたいと思えるのなら、それで十分である。

仮にそれがウグイだとしても、それがフグだとしても、狙って釣れる可能性が僅かでもあれば尚良い。

魚は大きければ大きいほど良いと思う人もいるかもしれないが、記録的な大きい魚はギリギリの環境で生きてる絶滅危惧種くらい絶対数が少ないもの。

フィールドの環境に由来するところが大きく、アベレージが大きいフィールドの○○オーバーの価値と、アベレージが小さなフィールドの○○オーバー価値は、同じではない。

自己記録が大きければ釣が上手なんて事は無い。

良き魚とは、その魚に辿り着くまでに、どれだけの悔しい思いをして、どんな努力して手にしたかの価値である。

良き魚に逢えた釣り人生は、きっと素晴らしいものになる。
そして、手に出来てない魚であるのなら、その夢は永遠に見続ける事が出来る。

物質文明の成れの果て、夢の無い時代に、少しだけ残された、少しだけ夢見る事の許された、浪漫ある世界。

ログのヘッダーになってる画像のケタバスだって僕にとっては良い魚。


最後に、良い仲間とは何か?

実はこれが一番見つからない、当たり前だけど人はひとりひとり違うもの。

自分の釣りを磨いてくれる、ライバル的な相手はそうは居ない。
自分という釣り人を理解してくれる人はそうは居ない。

そんな仲間に何時か出逢い、何時か別れる時が来る。

釣り場で笑い競い合えたアイツも、もうこの世には居ない。
僕に釣りを教えた祖父も、もうこの世には居ない。

今、そんな仲間が居るのなら、心の底から感謝すべき、大切にすべき相手である。

悔いの無いように、記憶に刻むべき時間がそこにある。
そして意地を張らずに、仲間から学ぶ事が出来たとき。

きっと釣り人として成長している、貴方がそこにいるだろう。



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