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関根崇暁

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BlueBlue.jpg 「背中に背負う蒼色は鳥から見た海の色」 「お腹に抱く蒼色は魚から見た空の色」 「BlueBlue 海を愛する人へ―」 「Where's your Blue?」 ima_banner.gif 株式会社アムズデザイン運営のima公式web site。シーバスルアーkomomo,sasuke等の紹介。ルアーテスターの釣行記、コラム等も掲載。

僕が生まれ育った荒川。

  • ジャンル:日記/一般

今回は関東平野を流れる嘗ての暴れ川、荒川のお話しである。

まず、以前、利根川の記事でもお話させて頂いたが、川には歴史がある。そして常に変化している。

僕なりの視点でこの川と共に過した昔の事、今の事を書くがもう離れて5年以上経つから今どうなのか?は僕もわからない。
10年前の川は何処にも無く、10年後の川はどうなるかわからない、釣師の目線だからわかることもあり、気付く事が出来るものだ。

荒川は奥秩父に水源を構え、二瀬、中津、浦山、玉淀など多くのダムを構え武蔵の平野を流れ下り、嘗ては利根川(現在の江戸川)と共に東京湾へと流れる河川である。河口から秋ヶ瀬の堰まではシーバスでも有名な河川である。

僕が育ったのはその中流域である。多くのフィールドが祖父との想い出の地であり、プライベートなエリアもあり、仲間と共に釣歩いた場所でもある。

皆様は川で泳いだ少年時代の記憶はあるだろうか?僕は親に言うと叱られるから内緒で行ったりしていた。それくらい川は危険な場所だったりして子供の冒険心を擽る何かが存在していた。



子供の頃は、今の様にダムも多くなかったから荒川は何時も怖いくらいの水量で深瀬は青々と流れていた。

祖父や叔父に付いて行き瀬ではハヤ釣りを覚え、鮎のコロガシ、ニジマス釣りなど季節に応じた釣を学んだ。淵には野鯉やフナが群を成し、夕暮れにはオイカワが雨の様にライズをしていた。そして大淵や深瀬には川マス(サクラマス)がいてその姿を見る事も出来た。

今の様に、ブラックバスもスモールマウスも居ない、日本の川だった。

ところが1980年代半ばになると、川の状態が急変した。夏の時期に瀬切れを起こしたのである。ダムの稼動や山の開発など原因は様々な事が考えられるが、徐々に川は勢いを失い、流れは痩せ細り、淵は砂に埋まり、石はノロで覆われ、寂しい流れになってしまった。

僕がルアーを投げ入れたのは、その激変する最中の時代、ニゴイやハス、ウグイやライギョ、それにニジマスもルアーで釣る事が出来た。
そして川マス(サクラマス)を奇跡的に釣ることが出来たり、2000年頃には養殖物だろうが、イトウを釣った事もある。



やがて新潟の魚野川へ通っていた頃に、秩父出身の荒川の名手に偶然、必然、運命的な出逢いをする。

彼は年間に尺ヤマメを50本キャッチする。そして秩父から湘南、新潟のサーフへシーバスを釣に行く。そして赤川や利根川では毎年立派なサクラマスを仕留める。

もし彼が居なかったら僕は、東京湾での釣をしていない。
ボートシーバスもしていない。
そして筑後川の有明鱸を釣る事も無かったかもしれない。

僕は彼に、利根川サクラマスの事を話した。彼は僕に荒川の本流ヤマメの事を話した。

共に、平日ホームグランドで腕を磨きながら、週末は魚野川の怪物を夢見ていた。

やがて

僕等二人は毎週、釣勝負。

負けて、勝って、化学反応して爆発して燃えて、お互いの釣りは融合した、お互いがライバルで先生だった。

トラウトのオフシーズンは二人で海を目差しシーバスを釣った。
乗合船では何時も竿頭、サーフはあんまり釣れなかったけど、それはそれで楽しかった。

最近、彼に電話をした。釣りの事、仕事の事、人生の事まで話題は尽きない、そして話題が荒川になる。

驚く事に、その荒川中流域でシーバスという噂があると耳にした。

もちろん秋ヶ瀬が出来る前は、祖父の家の裏までボラが遡上してきたと言うから可能性はあるだろうが、秋が瀬を魚が越えるというのは嬉しい限りである。天然遡上の鮎は利根川と変らず、逆に型は荒川の方が良いと云うこともあり、物凄い数のハヤやオイカワにカマツカもるから、スズキが遡上してきても餌に困る様な事は無いだろう。

荒川には利根川の水を導水する武蔵水路というのがある。この水量は毎秒40㎥で埼玉県水道局の約8割の給水エリアの水道水を確保している
とされる。これだけの水が常に本流を流れるという事は、ある意味、荒川全体が水路であるとも考えられる。

豊富な水量、多くの魚達、その多様性からしても素晴らしいフィールドである。僕がもし今、荒川を釣る事が出来るのならシーバスを探しに行ったと思う。

何時まで経っても、何度釣しても僕等は知らない事ばかりである。
  

利根川にも、荒川にも、もちろん筑後川にも言えることだが、フィールドを開拓する者が極めて少ないという事である。

大河の釣行は、労力の割りに見返りは少ない。それが排他的である所以だが、それを乗り越えて通った者にし味わえない素晴らしい世界が確実に存在している。

僕は、もし祖父や叔父が川マスの話をしなかったら、このフィールドに大人になってから立つ事は無かったと思う。

今は昔に比べれば状況も変っただろうし、僕がその場所で釣をする事も無くなったが、あの時の記憶も情熱も消えることは無い。

僕は人とフィールドと魚に恵まれた。

故郷の大河、利根川と僕が生まれ育った、荒川。

そこで出逢った人達、そこで辿り着いた魚達。

そこでの素晴らしい釣の世界を、誰にも知られたく無いが、誰かに知って欲しい。 

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