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関根崇暁

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BlueBlue.jpg 「背中に背負う蒼色は鳥から見た海の色」 「お腹に抱く蒼色は魚から見た空の色」 「BlueBlue 海を愛する人へ―」 「Where's your Blue?」 ima_banner.gif 株式会社アムズデザイン運営のima公式web site。シーバスルアーkomomo,sasuke等の紹介。ルアーテスターの釣行記、コラム等も掲載。

マイ・フェイヴァリット・ルアー

  • ジャンル:style-攻略法

1980年代の初め頃。
僕は初めてフィンランド製のルアーを手にした。
その名はラパラ。

そのブランドが高級品だった頃の記憶は、原体験は僕の釣りにとって大切なものである。

当時少年だった僕は小遣いを握り締めて自転車に乗り商店街の片隅にある埃っぽい釣具屋へ息を切らせながら向かう。
引き戸を開けると奥には年季の入った店主が擦れた声で「ハイ、イラッシャイ。」
その後は無口で「買わない物にはやたらに触るんじゃないよ」的な視線で僕を見ている。

綺麗に陳列されたその紙製の箱。値札は1500円だったと思う。
緊張しながらCD9と書かれたそのプラグを吟味していた。
やっと虹鱒色のRTを見つけお金を払うと、小さな茶色の紙袋にそいつを入れてもらい北風の中家路を急いだ。

これで未踏の深場も攻略できると本気で思っていた。スピナーでも、スプーンでもなく、大人のルアー。ミノープラグはそんな存在である。

当時はバスもろくにいない時代だから、憧れは滅多に居るはずもない鱒。そして夏になれば鯰や雷魚がメインのターゲットだった。
少しづつ買い足して、徐々にラパラは増えて行った。

ラパラカードを集めてステッカーやワッペン、キャップなんか貰った。
送られた景品と一緒にラパラシーバスダービーって冊子があってそこでシーバスの存在を知った。この日本の何処かに大きな鱸がいるんだと思った。

CDがカウントダウンであり、シンキングではない事。
そのメソッドは魚へ近づく為の近道である事。
フィールドのコンディションに合わせてフローティングやジョイントを使い分ける事。
フィールドにルアーサイズを合わせる事。

学ぶ事は無限にあった。
やがて憧れていた鱒達もシーバスも釣る事ができた。僕がアングラーとして成長してゆく中で常にラパラは存在していた。

僕にとって今でもラパラは原点であり続けるしこれからもそこは変わらない。

 

現代は2010年。
確かに新製品は素晴らしい性能だと思う。
釣具の性能も上がり、アングラーも情報も増えた分、魚との距離が遠くなった気がする。

フィールドを見る洞察力や観察力が一番大切なのだが、そこが語られなくなりつつある気がする。

僕等はルアーを択ぶ事が出来る。

しかし、フィールドのコンディションを択ぶ事が出来ない。

細かく言えば同じ状況など二度と無い。

それは30年前も今も変わらない。

現代ではラパラは飛ばないし使わないと言われている。
しかし、そもそも飛ばす必要があるのだろうか?
本当にラパラだけで釣れる時代は終ったのだろうか?

きっとこの釣りの本質はそんなところにはないはず。

この擬似餌釣には基本が存在する。

時代と共に基本は上書きされ常に変化してゆくが、やがて修正されあるべき基本に戻る。
常にこれを繰り返し、本筋を外れない事が基本だと僕は考える。

応用は小手先である、その場凌ぎなのだ。
釣り場に通い、投げて巻く。
駄目なら何かを変えて 投げて巻く。
それでも駄目なら、釣れるまで続けるだけだけ。

投げて巻くだけで釣れるルアー。
それが基本。
それがラパラなのである。

飛ばないのは、道具の所為ではなく。
キャスティングフォームにも問題があるのでは?と疑問を持つ事だ。
僕が知るこの30年以上の歴史のなかで世界中のルアーアングラーはコイツで魚を仕留めている。

僕等はそこを否定するほど釣りをしてきたのか?
本当の本物は地味で目立たないから当たり前の存在だったりする。

目新しい新製品を買いに釣具屋に行く前に、手持ちをルアーをよく見てみると。

もうここに十分あるだろ?とラパラが語りかけてくる。
 

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