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3.11 絶望したあの日を俺は忘れない。

東日本大震災から4年が経過しました。



震災で亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。





現在、分かっているだけで死者15,889名、 行方不明者2,594名、 負傷者6,152名を出した未曾有の大災害。

2011年3月11日14時46分18秒、最初の地震が発生してから、実家が海の目の前ということもあり、自分の未来が大きく変わりました。





被災した時の事を言葉を綴ってログに残そうと思いましたが、上手くまとめる事もできない、説得力もない、なので電池の残量が少ない携帯で写した震災の画像を残したいと思います。



画像は茨城県北部某漁港の目の前、自分の自宅は津波により2m50cm程浸水、自宅から200m程東に行くと津波の最大到達点は6mを越えた場所もありました。





①3月12日 午前7時頃 自宅前

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手前右の建家は、中が津波にぶち抜かれ倒壊寸前、津波が来たときに親戚のおっちゃんが津波に飲み込まれこの建家の柱にしがみついて助かりました。

アスファルトにはヘドロが堆積し、悪臭を放ち、道には流れ物が散乱し危険な状況でした。





②3月12日 午前7時半頃 自宅前道路東側

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右側の長屋の中はぶち抜かれ道路に家財道具が散乱し足の踏み場もありません。

この長屋で寝たきりのお爺さんがお亡くなりになりました。

真ん中にぶち上がっている日産・ステージアは親父の弟の車で、ここから30メートル程南にある



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家の目の前の旧堤防を乗り越え、津波に揺られてここまで来たと推測されます。

画像にはありませんが、この画像の反対方向80メーター程行った場所では、日産キューブが電柱に引っ掛かってぶら下がってるという衝撃的な光景を目にしました。





③3月12日 午前7時半頃 工場前

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右側の資材が倒壊。

倉庫もトヨタ・マークXに押されて倒壊、この車も旧堤防を乗り越えてきました。

フォークリフトは震災時、工場前に止めたもので、漁網・小型漁船に押され2メール程後退したようです。

このフォークリフトが無かったら、船や車が自宅に突っ込み被害は拡大していたでしょう。





④3月12日 午前8時頃 工場内

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縦に止めておいたユンボは横になり、大型コンプレッサーやその他機材が隣の工場から流れ、棚は総崩れで足の踏み場がありません。

機械の9割が津波を被り、被害総額は5000万超。

これを見て、会社員だった自分は家業を継ぐ決心をしました。





⑤3月12日 午前8時頃 自宅一階キッチン

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もう何がなんだか分かりません。

倒れているのは食器棚、シンクも津波に押され、隣の部屋の畳はすべて剥がされていました。

このキッチンで津波は約2m30cm程の位置に来たと思われる跡が残っています。





⑥ ③の画像の場所を自宅二階より撮影

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左側の建家は一階部分が倒壊し、二階部分が一階部分を潰しているところが多々ありました。

写真中央の親父が乗っていたグランドハイエースも旧堤防を乗り越え、建家を潰して上にぶち上がっています。

見渡す限り大量の漁網とヘドロ、漁網に資材やゴミが絡まり総勢30人・巻き網漁船会社2社の協力を得て、3日かけて撤去。





⑦ 3月14日 午後12時頃 自宅前の道路

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真ん中の道が綺麗になってます。

12日・13日と知り合いが総勢25名程駆けつけて、家財道具や流れ者を一部撤去した後の画像です。

助けてを借りて綺麗になりました、


が………


14日の午前中に綺麗にした道にパチンコ屋にある丸い椅子が捨ててありました。

しかも300個程。

皆が苦しみながら、助け合いながら綺麗にした場所にゴミを捨てた腐ったクズ野郎、おかげで一時期人間不信に陥りました。

人生でもこれ程腸が煮えくり返ったことはないでしょう。



今現在、自宅の目の前は……

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100メートル程更地になってます。

他にも家が倒壊し、撤去した人が多数いたので沿岸部は更地が増えました。





⑧ 3月13日 午前11時頃 地元漁港付近

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親父の船が無事か確認しに行った時の画像です。

漁船は陸にぶち上がり天地無用。

堤防はガタガタで、津波ではなく地震によりこうなったと震災時に釣りをしていた人から聞きました。

新しく増設した堤防は流され無惨な姿に。

親父の船は運良く色々な要因が重なり、無事残っていました。







震災当時の画像は携帯の電池が少なかった・画像を残す暇もない程に瓦礫の撤去をしていたので自分の手元にある画像は以上になります。

他にも書き残したい事、伝えたい事は沢山ありますが、いざ言葉にしようとすると嫌な事を思い出します。

時間をかけつつ、来年の3.11までにゆっくりと文章を作りお伝えできればと思います。





最後に、知り合いから知らない人まで多方面の方から手助けをして頂きました。

家業も4代目である親父の代で廃業の危機に立たされましたが、どうにか持ちこたえ、今現在は安定して事業が継続できております。

手助けしてくださった方に、この場をお借りして厚く御礼申し上げます。

ありがとうございました。





人生で一度あるかないかの災害を身近に経験したことを後世に伝えなければいけない、3月11日を迎えるとそう強く思うJONNYでした。



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