あの淵で。

  • ジャンル:釣行記
あの淵は。

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10数年前、当時小学校低学年だった「あの頃」に、子供の脚では降りる事すら躊躇われた渓谷は、大人の脚を持った私の踏査を拒まなかった。

「川に、魚を釣りに行く。」

あの頃と何ら変わらない、たったそれだけの事だ。しかし、あの頃には感じなかった、いや、感じることさえさせてくれなかった期待と興奮が、私の胸を満たしていた。




川に降りた。

木漏れ日の間を抜ける春風が運んだ苔と土の薫り、そして聞こえてくるせせらぎと野鳥の囀りに、私は心身を解放する。

この川に降りられたこと、すなわち、自身の年齢的な意味での成長によって、自身の内側に流れた時間の長さを感じているのに、あの頃と何も変わらない山と川は、自身の外側で流れていた時間の長さを全く感じさせてくれない。

気がついたら、懐かしさとも新鮮さとも違う、「今この瞬間にこの渓谷に立てている幸せ」を噛み締めていた。


大小無数の岩が水の流れをせき止め、受け流し、分かち、そして、水の流れは淵を作る。


「ここはおる淵だ。」



友人と釣り場を確認し、渓相から獲物の存在を確信する。






答えは早かった。oj9s6rypg3z2phtk4xuz_480_480-70c0be9e.jpg

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水面近くまで顔を出し果敢にも喰らいついてきたイワナの、その精悍な顔と魚体の美しさに思わずため息が漏れる。

この魚は、遙かな時代から、閉ざされた山奥のほんの小さな渓流で生き、そして次代へと繋がってきた生命の権化だ。この魚がいるということは、美しい水があり、命を維持し子孫を残すに足る餌があるということ。この山が育んでいる生命の豊かさに感謝していたのは、もう無意識だった。



「何かして遊ぼうで」
「山いきゃ何かできるわい」





あるんだよなここにも、最高の遊び場が。






会うべき時が来たってことか。

やっと会えたな。

あの淵で。

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