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小川健太郎釣りペイジ


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阪神の震災の日のこと

  • ジャンル:日記/一般
センター試験の翌日の17年前のあのとき、
釣りに行く約束をしていたワタクシは
起きて当時の家の二階自室の布団の上に北を向いて座ってました。

ゴゴゴと何かが近づいてくる音の直後、
目の前の木造の壁がススキのように曲がる。
壁だったものが一瞬で真上へ。
壁が折れるかとおもいきや向こうへ。
ここでこれが地震であることに気がつきます。
何度もグニャグニャになる視界の中
屋根の上で何かが盛大に落ちて行く音がする。
水槽はそのままで、水だけが大きく揺れてほとんどすべての水が床に。
ずっと近隣でガラガラゴウゴウと音が続き、
ようやく収まった頃、家族の安否を確認することができました。
ニュースはまだ神戸のちょっとした火事しか流れていませんでした。

もしどこかの棚や水槽なんかを東西線上に設置していただけで
誰かが犠牲になっていたような状況でした。
食器棚(偶然南北タテに設置)を押さえていた父のおかげで
片付けるほどのものは少なく、
すぐに自転車に乗って旧造の友人宅をまわりました。

池田駅前は全てのガラスが落ちたビルが多かった程度で
神戸や伊丹ほどのダメージはありませんでした。

そこから自転車で集まり、箕面の友人と豊中の活断層エリアへ。
つい前日受けたセンター試験の会場だった阪大の窓から
盛大に炎が出ているのに誰もいなかったこと。
その前の道になる中国道に全く車が通っていないこと。
刀根山待兼山方面の活断層付近が全体にガスのニオイが充満していたこと。
を記憶しています。自転車を漕いで淡々と周りましたが、
今すぐ助けを要するほどのことはなさそうだったので戻りました。

外には思ったほど人は歩いていませんでした。

帰ってみると、自分の家の方から西側のほうが
被害が大きく、のちの区分でいう「一部損壊」「半壊」がメインとなるエリアでした。

高校生の自分にはショッキングだったとは思いますが、
当時は最初の一瞬以外ショックとは考えていませんでした。
素直に受け入れてました。
無事である側はそうでない人を助けるべきだ、と
案外誰でも思うものなのかもしれません。
それで友人の家それぞれの造りを考えて
すぐに飛び出したことを思い返せば
きっと普段からそういう対策というか、
建造物の仕組みを観察して記憶する目が日本人には身に付いているのではないかという気がします。
どうしていいかわからないけど、とりあえず無事だからよそをまわった、という動き。
結果、すぐに行くべき方向としては間違っていたわけですが。

これは単純に無事だから言えるだけの、それだけことです。
あの家はもうありませんが、立ってた(座ってたけど)位置の違いだけで
自分や家族は生きてて、こうやって書ける。
本当にそれだけで、幸も不幸も感じずに淡々とこの日を迎えているわけです。

日本には地震がある、その意識だけ。
そのおかげで四季もあり、四方の海の幸に恵まれ、山の幸もある。

もうどんなにバカなことをやってる最中でも、
日本人はみんな認識できてるように思えます。

さらに被害の大きかったエリアとの比較、なんて、
今は誰もしませんが、自分ではたまに思うことがあります。
地獄のようだった、と形容されるシーンに立たされたとき
どう動けるか、どう動けないか
今もそれだけはわかりません。

『なってしまった状況』というのは戻すことができません。
あのときこうしていれば、なんてのは何年後に任せて
まずはその場を素直に受け入れて次へ動くこと、次へ動くこと。
これだけは大事なのではないかと思います。
誰が死のうが怪我しようが、自分がその場で動くのであれば
できることをする。後悔や悲しみは瞬時に何年後かへ放り投げる。

毎年この日に震災時の走馬灯を思い起こし、
自分が肝に命じているのは、これができているかどうか、です。

例えば
一年ちょっと前のトレーラートラック事故の際、
後方のトラックが止まれないことがわかったので、
目の前に渋滞で連なる軽バン、軽自動車を助けるために
すでに全員停車中だったにもかかわらず
一瞬で自分の車(友人から借りていたにもかかわらず)のブレーキをフルロックしました。
犠牲は最小限だったと思います。
ちゃんとミラーでトラックを観察していなければ、こうして今日記を書いているかもわかりません。

その数日前の自車が故障した際も、エンジン停止と同時に
ATシフトをニュートラルに解除し、ハザード。
余力のスピードを一切殺さずにしっかり使って
トンネルを抜けてなるべく広い場所で緩やかに寄せて停車することができました。

何かが起こることが想定でき、行動できたのは
17年前のこの日のおかげだと思います。
それがいい、わるい、幸、不幸ではなく、
淡々とそういうことが繋がっているのだ、と思います。

ちなみに机の下に逃げるような余裕と時間は…まったくありませんでした。
床がうねってるし。

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