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上宮則幸

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一億の夜 ♯2

おれが昼食を終えたころ、納入された商品の検品を済ませて岩井憲作が事務所に帰ってきた。

長身でガッチリした体躯の彼がズカズカとテレビの前に歩み寄り食い入るように高校野球の中継に観入る。
テレビの上に片手を乗せてもう片方を腰にあてがった姿勢で
「あっ!一点入ったの?」
と誰にともなく言葉を投げた。
部長が
「追い上げて同点に追い付いたぶん、君の母校が優勢だな」
と応えた。
「あぁ、そう!」
応えるなり岩井は部長に一瞥もくれずに目はテレビに釘付けのままデスクに戻り弁当を広げ始めた。

上司に対する態度とは思えない不遜さだが、誰も咎める者はいない。
彼はその業績と熱意溢れる働きぶりで会社の誰からも一目置かれた存在だ。
岩井が事務所に戻ると少しばかり空気がピリリと引き締まる。
その岩井があまりにテレビに夢中になり、弁当の唐揚げをポトリと床に落とした。
「オーノー!」
彼は素早く唐揚げを拾い上げ
「はい、3秒以内だからセーフ!」
と言いながらパクリと食べてしまった。
それを見て一同が笑う。
切れ者で仕事に厳しい岩井だが、たまに抜けた事をやるから皆に親しまれてもいる。

24歳の若い男性社員が
「なんすか3秒って?」
「なんだ3秒ルールも知らんのか?イリノイ大で実験されてたろ?上宮に聞いてみろ。」
と唐突におれに振られた。
気の利いた事を即座に言えないおれは
「あれは5秒ルールだろ…」
とだけ答えた。
若い社員は簡単な相槌を打っただけでそれ以上聞こうとはしない。
無理もない、おれは真面目な堅物だと思われているから取っつきにくいんだろう。

おもむろに岩井が
「あっ、上宮、奥さんから聞いてるだろ?迷惑かけてすまないな!」
突拍子もなく大きな声で
「その事でちょっと後で話しをしよう」
と言葉を継いだ。
おれは
「いいさ、また後でな」
と答えた。

岩井は再びテレビを観ながら弁当をほうばりはじめた。
すぐに彼の後輩達が逆転となる得点を挙げると素っ頓狂な奇声を発し拍手までして喜び
「勝ったら祝勝会やりましょうよ、部長のおごりで!!」
と勝手な事を言って皆を笑わせていた。






夕方
明日の発送の段取りの後、岩井憲作と連れ立って近所のコンビニに向かった。
規格営業部の休暇は明日からの5日間。
20日水曜日から24日日曜日まで。
ただ、配送は交代勤務で毎日動いているから休暇中の仕事の段取りは付けておいてやらなきゃならない。
今日もその準備のため苛烈な残業の予定だ。
その前に少し休憩を挟む。

昼休みの岩井の口振りでは、今度の休暇の長崎行きの話しがあるんだろうと思っていたが、休暇明けに予定している外食チェーンへのプレゼン資料の話しばかりしている。
「先方のマネージャーはな、プレゼンでも完成度の高いサンプルとレシピを提供しないとなかなか食い付かないんだよ。レギュラーメニューに加えてもらいたいならポップなんかも即使えるクオリティーで頼むな!」
相変わらずの岩井の熱弁は止まらない。
「ポップは三木君に任せてあるが、いいものが仕上がってたよ。ところで、まさか今度の休暇中にまでプレゼンの打ち合わせやる気じゃなかろうな?」
いい加減に本題に移ろうとおれから話の腰を折った。

岩井にしては珍しく一呼吸置いてから
「亜美が今から凄く楽しみにしててな、でも突然ごめんな、静華さんによろしく言っててくれ」
「いや、うちは何も休憩の計画してなくてな、かえって助かったよ。」
長崎行きは21日からの3泊4日。
日曜日の夜に帰ってくる。
「おれはあぶれたが、独りの休暇なんて多分もう一生ないからな、ノンビリ過ごすさ、楽しみだよ」

再びの一瞬の沈黙の後、彼が何か冗談を言うように軽い口調で言った。
「夜は酒飲まずに空けとけよ!」
「何でだよ?」
「浸かろうぜ!」
今度は強い口調だった。
「肝属で振り狂おうぜ!」

その言葉を岩井憲作から聞いたのはどれぐらい振りだろうか?





岩井憲作の言葉は鼻孔にあの臭い達を蘇らせた。

この時期、ススキの原の中を掻き分けて進むと茎や葉が折れる時の青い臭いの中に、そろそろ吹きはじめた穂の甘い臭いが濃厚に漂うんだ。
取り分けおれが好きだったあの甘い臭い。
バキバキと歩き続けて高い土手を滑るように降りたら湿った泥がウエダーの底のフェルトを濡らして粘る。
足元からヒンヤリした泥の臭いも心地良い。
上流からの風の中には早期作の稲のそろそろ実り乾く香ばしい臭いも混じったりとか…

懐かしさをはっきりと自覚した。
それを自身が欲しているのは前から感じていたが。
おれ達はおれ達の川だった肝属に帰るべきだと思った。



おれ達はあの場所の住人だった。

しかし、そうではなくなった理由も同時に思い出された。

















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