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連載第9回 『雷鳴~長い長いトンネルの出口で見えたもの~』

  • ジャンル:日記/一般
  • (小説)
第四章  協働

十一月も中旬になる頃のある金曜日。ボクと清夏の疲労はピークに達しかけていた。精神的にも「摩り切れそう」だった。コーヒーを淹れるのを忘れてしまうこともあった。
ボク達には、トンネルの出口の光が見えなくなるような気がし始めていた。清水課長に弱音を吐いた方がよいだろうかと思ったことすらあった。実際、ボクの状態を案じる清水課長の視線には気づいていた。
それでも、ボクは楽しかった。四六時中、清夏と同じ時間、同じ空気を共有していたからだ。一目惚れの「魔法」のおかげで、疲労を忘れることもあったのだ。
ボクは、彼女を励ますことを忘れなかった。
「始めた仕事は必ず終わる。たゆまぬ努力はきっと報われる。だから、決して諦めないことが大事なんだ。さあ、もう一息頑張ろう」
清夏は、目を潤ませて頷いた。
「私一人では、こんな難しいプロジェクトは無理かもしれません。でも、谷山さんが一緒だから頑張れます。谷山さんを信じてついて行きます」
そんな清夏のひたむきな姿勢に、ボクはますます好感を抱き、どんどん魅かれていった。清夏が、ボクと同じように感じてくれていることを祈った。
 
その夜、ボクは清夏を飲みに誘った。疲れた時こそ頭を切り替えることが必要だ。しかし、それは口実で、実際は、もっと清夏との関係を密にすることを期待してのことだった。
「仕事も頭も煮詰まってきた。今日は金曜日だし、思い切って少し飲みに行かないか?気分転換は大切だよ。さあ、リセットだ」
「でも、まだ仕事が残っていますよ。大丈夫ですか?」
「大丈夫。月曜日にフレッシュな頭で早出する方がよっぽど効率的だよ。さあ、行こう」
「はい!」
ボクは清夏を、数寄屋橋で古くから営んでいる日本料理店Mに誘った。生意気な仲居が一人いるのが難点だが、板前の腕は確かだし、静かに会話ができるのが何よりだ。清夏は、同年代の男なら絶対に誘えないような、こぢんまりとして温かみのある店の趣に驚いていた。
大した会話もしないうちに清夏は酔い始めてきた。やはり、よほど疲れているのだろう。そのうち、仕事の辛さを思い出したようで、目が潤み始めた。
「私にこの仕事はできるんでしょうか。谷山さんの足を引っ張っているだけじゃないでしょうか」
ボクは、清夏の眼をじっと見つめて言った。
「そんなことは全くないよ。君の思い過ごしだ。君はボクにとって大切なパートナーだ」
「ありがとうございます。精一杯頑張ります」
清夏の目から涙がこぼれ落ちた。
ボクは、清水課長から託された「最後のカード」のことを清夏に話す決意をした。
「大事な話があるんだ。決して他言してはならない。もちろん清水課長に対してもだ」
「どんな話ですか」
「実は、今回の案件で、清水課長から『最後のカード』を託されている。誰にも言わないという条件で聞かされた。君にもだ。少しでも良い条件で交渉をまとめることがボク達の仕事だから、始めから『最後のカード』ありきでは仕事にならない。だからボクは今まで君にも黙っていた。でも、君という大切なパートナーにこれ以上黙っておくわけにはいかない。だから、清水課長との約束を破ることにした。その代わり、今までと同じように少しでも良い条件を勝ち取るための仕事をすることを約束してほしい」
清夏は静かに首を縦に振った。
ボクは「最後のカード」を説明した。我が社も譲歩する一方で、A社に対しても、別の角度から一定の譲歩を迫る内容である。厳に秘匿を要する情報である。
清夏は、今まで話してもらえなかったことが少し不満だったようだが、最後には、ボクが打ち明けたことを喜んでくれた。
ボクは、清夏の気をひくために、会社の秘密さえも売ってしまった。
「さあ、すっかり酔ったようだ。今日は引き上げよう」
店を出たところで清夏がつまずいて倒れそうなり、ボクは慌てて助け起こした。清夏はボクの腕の中から離れようとせず、胸に顔をうずめてきた。
「大丈夫かい?」
少し間があいた後、清夏が小さな声でこう言った。
「もう少しだけこうしていさせてください」
何も言わず清夏の頭を優しく撫でて愛おしんだ。
どのくらいそうしていただろう。ボクにはとても長い時間に感じられたが、実際はほんの一、二分だったかもしれない。それでもボクには幸せな時間だった。
清夏は涙を拭きながらボクの胸から離れた。
「ありがとうございます。また来週から頑張ります。月曜日に早出するのを忘れないでくださいね。ごちそうさまでした!」
清夏は照れ臭そうに、でも悪戯っぽく笑って地下鉄の駅の方向に走っていった。ボクは、この夜清夏と飲みに出かけた目的を果たせたような気がした。
 

十二月四日のことだった。このプロジェクトが始まってから期限の二か月が経とうとしていた。ボク達は、A社の会議室にいた。大西氏から、仕様の水準は譲れないが、足りない予算は後年度負担にしたいという譲歩案が提示された。
ボク達は、「最後のカード」を切った。
「大西さん、仕様と価格は御社のオファーのとおりにさせていただきたいと思います。もちろん、足りない予算の後年度負担については、喜んでお受けいたします。ただし、システム本体の価格を上げられない以上、他で補てんする必要があります。そこで、年度ごとの保守費用を増額していただきたいのです。これが我が社の最大限の譲歩です。これでなければ御社とのお取引ができなくなります。それは、我が社にとっても本意ではありません。どうか御検討いただけないでしょうか」
「少し席を外させてください」
大西氏が戻ってくるまで、ボク達は神妙に待っていた。「最後のカード」を切った。もう打つ手は何も残っていないのだ。
「お待たせしました。御社の御提案を上司に諮って参りました。お受けいたします」
ボク達は、驚き、顔を見合わせた次の瞬間に、深々と頭を下げて大西氏にお礼を言った。
「次にお会いするときには、完全に仕事のことを忘れて、森見登美彦の話に花を咲かせましょう」
大西氏は、満面の笑顔でボク達を見送ってくれた。
A社を出た後、ボクと清夏は、どちらからともなく、ハイタッチをして、プロジェクトの成功を喜んだ。
「ボク達のたゆまぬ努力が報われたんだよ。諦めなくてよかったね」
「谷山さんを信じてついて行ってよかったです」
ボク達は、十一月中旬にオフィスで交わした会話を思い出していた。
 

トンネルの出口は突然やってきた。心の中の靄が晴れ、明るく確かな未来があったのだと実感することができた。
ボクと清夏は意気揚々とオフィスに戻り、胸を張って清水課長に報告した。清水課長は、感慨深げに頷きながら、ボク達の成功を喜んでくれた。
「先ほどA社の課長から電話があってね、君達に根負けしたそうだ。大西さんも、我が社の技術力を信頼してくれていて、うちの要求を飲めるように社内で奮闘してくださっていたそうだ。君達の熱意が大西さんに伝わったということだろう。本当によくやってくれた」
今回のプロジェクト成功の最大の功労者は、他ならぬ大西氏だったのだ。とても足を向けて寝られない。
後でボクだけが、もう一度清水課長に呼ばれた。
「このプロジェクト、やはり君に任せて良かった。開発と営業の両方の経験がある君にしかできない仕事だった。それに、私が期待したとおり、木元さんもうまく育ててくれた。彼女はこれからうちの戦力になる。本当によくやってくれた」
清水課長は改めてボク達の成功を労ってくれた。そこで、清水課長に正直に白状することにした。
「課長。お話ししなければならないことがあります」
「なんだ」
「『最後のカード』の件、途中で木元さんに話してしまいました。彼女の士気を高めるためにやむを得ませんでした。指示に従わず、申し訳ありませんでした」
「なんだ。そんなことか。はじめから織り込み済みだよ」
清水課長は破顔し、「打ち上げの足しにしろ」と、ポケットマネーから「軍資金」を渡してくれた。やはり清水課長は懐が深く、粋なところがある。

第五章 僥倖に続く

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