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古賀 亮介‐snif

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はじめまして、snifです。

  • ジャンル:日記/一般

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忘備録的にデータのみを溜めてきてはいたものの、
なかなか公開する気にはならないものばかりなので、何も公開していなかった。
しかしながら『fimoやってます』という挨拶も、楽しみ方の一つのような気がしてきたので、
月に1本くらいは書くことにする。

そんなわけで簡単な生い立ちと、今までの釣り人生を自己紹介。
ダラダラと長いので、このログは読み飛ばすことを先にお勧めしておく。

*****************

幼少の頃は、普段仕事をしていない競艇狂いだったろくでもない親父に連れられては
佐賀県伊万里~唐津・呼子周辺の波止での小物釣りをしていた。

この小物釣りも妙なもので、
親父は当時、あまり物事を研究して突き詰める性格ではなかったので、
『でかいチヌ』を狙って、いろんな所へ行くも、
狙いどおりの獲物を得られることは、ひきこもりが交通事故に遭うくらいの確率でしかなく、
結果的に釣れてくるのが、アジやメバルやカワハギなどの小物がメインになってしまっていた。というだけのことで、なんら食性やパターンや時合いなんて釣り用語も遠い世界の話だった。

そんな風だから小学校の友達が、釣りの上手い彼の父親と一緒に行った土産話を『○○で☓☓が大漁だったよー』などと学校で聞かされては、私は羨ましがって、とにかく!!と、親父に連れて行ってもらったものである。

研究や考察がなかったからロクに釣れたためしはないのだが。

今考えてみると、かえってそれが良かったのかもしれない。


交通事故は交通事故で、万人に起こりうることで。
釣行回数だけはそこそこ多かったから、自分にもまぐれの巨大魚が釣れる事が、年間5度くらいあった。

といっても、50センチのセイゴで、もはや十分に巨大魚だったのだけど。
セイゴだけでなく、チヌ、クロ(メジナ)、バリ(アイゴ)、ボラなど、
波止の釣りで釣れる釣りものはなんでも勲章になった。

元々、私が18まで過ごした実家の立地が、たまたま汽水域の川に面していて、
造りも古いものだから、夏の夜など何処からか実家の屋内にカニやフナムシが侵入してくる。
風呂場で裸になってシャンプーしてるとこに、カニが現れることなども日常で、
今現在、そして未来永劫カニが苦手なのはそのせいである。

シャンプーしてたら足の上を・・・

夜中ふと目を覚ますと顔の真横に・・・


話を釣りに戻そう。

その大嫌いなカニや、かわいい小魚を追って、川を昇ってくるチヌやセイゴを、実家の裏で釣ることを覚えたのが、小学校3年生の夏風邪をひいた日の夕方だった。

その日のことは今でも覚えていて、水位は満潮。
足元まで水があったから大潮だったろうか。

いつものようにトイレの窓からなんとなく川を覗くと、
これまで見た事のない形の大きな魚影が見えたので慌てた。

なんとかしなきゃと思っても風邪だからと祖母から外出禁止令が出されていたので、直接川べりに行くことはできない。

でもなんとかしなきゃ。

冷凍庫にあったオキアミをレンチンで解凍。
(若干煮えて、端っこが発破してレンジを汚した・・・後で母親に大目玉をくらう)
そのオキアミを事もあろうかトイレの窓から、ノベ竿につけてたらしてみた。

すると・・・である。

食ったのが見えたとおもったら、すごい勢いで暴れだした。
トイレの小窓から掛けた魚は35センチ程のチヌだったかと思う。
そんな釣り方で、子供の手に負えるわけもなく、
川の護岸の石積みの淵に擦れてあっさり切られた。


その夜からチヌを釣らねばと、夏の夕方は家の裏の川で対岸の通学路を歩く同級生に手を振りながら、チヌを狙うことになる。

ちなみに、その釣りで初めて釣り上げることに成功した魚はフグで、
念願のチヌを釣りあげたのは、翌年の初夏だった。

刺身にも出来そうな大きさだったので、その日の晩飯は釣りたてのチヌの刺身!!と期待したが、あっさり祖母の手によって1年がかりの勲章は丸ごと塩焼きにされており、『すごいね。』って褒めてもらっているのに、半分泣きながら駄々をこね、祖母を罵っては、母親に『いいかげんにしなさい』と殴られたのを覚えている。


バス釣りがブームになり始めたころ、周りの誘いもあり、近所のダム湖へ通う事になる。
それから現在まで、メインのターゲットはブラックバスであるが、実家裏でのチヌ釣りは毎年の夏に続けており、
中学1年生の頃には、ベイトタックルでオキアミの付いた小さなジグヘッドをフリッピングで落とし込んで、サイトで釣るようになっていた。


そこから先はものすごい加速度でバス釣りに没頭し続ける。

中学2年頃からNBCのチャプターに出るようになったり、
高校1年生の時には様々な縁があってWBS主催の53pick up!!を、
友人や地元バス釣りチームの大人たちを巻き込んで、
発起人として唐津市松浦川で開催までしてしまった。
バス害魚論が横行する時代に、署名集めやゴミ拾い活動など、何でもしてきた。

釣りをすることが楽しくてしょうがなかった。
チャプターでも、釣具屋でも、インターネットでも何処のどんな釣り場でも。
それで出会った人たちと釣りをしたり、旅をしたり。
より楽しい方向に行くために、『さて何をしようか。』
それが私の学生時代だった。

そんなやりたい放題、文字通り釣りしかしなかった私も
一浪して釣具店でバイトなどした後は、
ひっそりとやっていた音楽の道がソコソコうなぎのぼりで
大学進学と同時に東京へ居を移してからは、
釣りに行くペースが半年に一度の帰省時のみに激減。

ただし、釣りに行ってしまえば10日帰らずに
昼はバス、夜はシーバスであるが。

チャプターで大いにお世話になったプロや、
地元の友達とも疎遠になっていた。

進学したは良いが、思いのほか若々し過ぎた周りの環境に適応できず、
大学に4年居ながらも、結局最初の数か月で、音楽と酒と女遊びに人生をホゲ散らかす事請け合いなルートに、自ずから進路変更してしまう。

そんな中でも、釣りに関する面白い経験もいくつかあり、大変恵まれていたと思う。

東京で知り合ったクレイジーなドライバーと日本中を(ほぼ下道で)旅をして、ツアーのついでにいろんな秘境で魚を釣ったり、

千葉で江戸前の海苔を養殖している漁師の家に転がり込んで、シーバスやマゴチやヒラメなど、3シーズン追いかけたり。
まとまった休みの度に、収穫や網替えの時間や休みを利用して、和船にバスタックルを積んで富津岬周辺を縦横無尽に釣りたおし、冬の東京湾を謳歌した。
音楽が変わらず忙しかったので、他からの情報はまったく収集することもなく、
流行のルアーや釣り方などまるで知りもしなかったが、海苔棚周辺での経験は、最近になって海の魚も相手にするようになってから、特に役立つことになる。

一昨年の夏、家庭の事情で東京から九州に帰ってからは、
釣りを本格的に再始動し、選んだ家が博多湾奥のメジャースポットまで徒歩5分なのを良いことに、ライトソルトにガッツリと手を出している。

東京から連れてきた今の嫁や
チャプター時代の悪友たち。
中学2年ごろから悪友のナルちゃん(胡麻ダレ)らは、
何も変わらず友のままで居てくれて、車貸せだの船出してだのと、
我侭づくしの悪魔の無茶ぶりをいつもいつも快く引き受けてくれる。

福岡に移り住んでからできた釣り友も、仕事仲間も、
最近、広がっていきそうな人々の輪も。

おかげでこれからの人生をホゲ散らかすことなく、
楽しく生きていけそうで、毎回本当に感謝している。
この場を借りてありがとう。
そしてこれからもよろしく。

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**************


いつか誰かが僕に言った。

焦るな。そして忘れるな。
どんな舞台にだって、静かに滾る開拓者の闘争心を。

どんな泥に塗れようとも
清くなくとも正しく生きろ。と。

・・・

釣れない釣りの、その先に
間違い続ける、日常の先に。
一体何が待っているのか。

まだまだやりたい『たかが釣り』がある。

与えられた状況の、
今そこで、出来る釣りを
ただ、ただ、精いっぱい。

そうやって生きてれば、
いつだって、気付けばほら、無我夢中。


*************


いつか彼女が僕に訊いた。

その先の世界はどんな景色なのさ?

・・・

分からないし見てみたい。


だから今日も、ただ単純に、

・・・

追いかける日々。


そう、まだ見ぬ風景を求めて。




**************

 

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